前回に続きモンゴル帝国のお話です。
元は当時大陸最強の軍隊を誇り、その圧倒的な軍事力で瞬く間にユーラシア大陸の国々を征服していきました。
パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)という一世紀にわたる平和を軍事力によりもたらしたほどに、その強さは圧倒的でした。
しかしなぜいち民族でしかなかったモンゴル人が、これほどまでの大帝国を築くことが可能だったのでしょうか。
今回はモンゴル帝国の強さについてです。
少数民族モンゴル人の元が瞬く間に領土を広げられた5つの理由
元は騎馬民族特有の機動力と攻撃力で、世界を震撼させました。青く塗られた地域は、モンゴルの支配下になった場所です。
最盛期には陸地の25%を支配したので、スケールが違いますね
少数民族であるモンゴル人が、なぜこれほどまでに領土を広げることができたのでしょう?その理由を解説していきます。
騎馬民族は常に戦闘訓練を受けている民族
この時代に騎乗できることは、さして珍しいことではなかったでしょう。しかし子供の頃から馬を乗りこなし、狩猟によって戦術を学んでいたような民族はごく少数です。
このアドバンテージはとても大きなもの。現代人からすると流鏑馬はとてもじゃないですが、できるようなものではありません。凄いと感心するばかりです!
しかしモンゴル人はああいった馬上での戦闘行為が日常レベルで当たり前で、片手・両手を離しての騎乗ができて当然でした。剣は当然で弓まで容易く撃ってくるのですから、相当な脅威だったことでしょう。
多くの国で軽装騎兵は貴重であったのに対し、モンゴルなど遊牧民は民族全てが騎兵なのです。
国民全てが戦車に乗れるようなものですから、大きな戦力になります
またバラバラの部族単位で遊牧民族がただ攻め込んで来るだけでも、歴代の中華王朝にとっては脅威でした。
万里の長城を築き、物理的に侵攻を防がなければ止められないほどの圧倒的強さだったことが伺えます。どれだけの覇王でも従えられなかったのが遊牧民です。
そんな強力な民族が国家単位となったのがモンゴル帝国ですから、恐ろしいことこの上ないでしょう。
遊牧民は「馬上で生まれ、馬上で死す」と言われるほど馬と密接で、3歳には馬に乗れるようになるのだとか。遊牧という移動の多いライフスタイルのため、馬上で食事も睡眠も行いまさに「人馬一体」となる民族です。
わざわざ馬に乗って戦闘訓練をするような他の民族では、手も足もでないのも当然と思える存在です。高地に住む人が自然と肺が強くなるように、自然と騎兵が育つ環境にあったというわけです。
遊牧民族の十八番「パルティアンショット」
弓騎兵という貴重な兵科を大量に運用できるだけでも大変なアドバンテージなのですが、モンゴル軍はそれだけではありません。
モンゴル人は遊牧民族特有の必殺技である「パルティアンショット」が得意技でした。
これは画像のように振り返りながら弓を撃つ技術が肝心なのですが、騎馬の機動力を最大限に活かす戦術でもあります。
パルティアンショットの基本は、以下の通り。
- 敵と向かい合ったらまず逃げる
- 追いかけてきたところを振り向きざまに一斉射撃
- 敵の陣形が崩れたら騎馬で突撃
- 相手が怯んだ隙に一斉射撃
- 追いかけてきたらまた一斉射撃(以下ループ)
という鬼畜戦術です。自分たちの強みをわかっている割り切った戦い方ですね。
モンゴル弓騎兵は徹底的に白兵戦を避け、敵と一定の距離を保ち続けます。
ヒット&アウェイを続けるので、敵は一方的に削られるのに対してモンゴル軍は無傷です。そのため連戦続きでも休息さえとればバッチリ戦えちゃいます。
また距離を取って戦うことで、ベテランの兵士を無駄に失わないという利点もあります。
熟練の兵でなくては、連携やタイミングが肝心のパルティアンショットを行えなかったようです
部族をローマ風の軍隊へと編成
これまでのことはモンゴルだけでなく、匈奴や突厥といった他の騎馬民族も用い、各国の脅威となったものです。しかしどの遊牧民国家も瓦解しています。
それは彼らが遊牧民であることが原因。遊牧民は定住しないので、家族・部族単位が基本です。
そのため強力な指導者が表れても影響力が弱まると、元通りのバラバラの民族に戻ってしまうのです。
そんな歴史からチンギス・ハンは部族を解体し、十人、百人、千人、万人の部隊に編成し直しローマのような軍隊を作り上げ、モンゴルという一つの枠組みに仕立て直しました。
これが他の騎馬民族とモンゴルの最大の違いといっても過言ではないでしょう。
バラバラになりやすい民族を一束にしたことが、今までの遊牧民族にはない画期的なことでした
イスラム・中国文明の利器の活用
さらにモンゴルが秀でていたのは、他の民族を活用していたことです。彼らが圧倒的に強くとも、民族としては少数です。数の優位には敵いません。
そこでモンゴル帝国では積極的に、イスラムや中国といった当時の最先端国家から技術者などを登用していました。
そのおかげで騎兵が苦手とする攻城戦もお手の物。
- 敵兵「よーし、城までたどり着いた籠城して援軍を待とう」
- モンゴル「どーん!どーん!石どーん!!兵器すげえ!」
- 敵兵「カタパルトでなんか撃ってきてるぞ、騎馬民族が!?」
- ムスリム「私が教えました(*^^)v」
- 敵兵「くそおおおおおおおおお」
騎馬民族であるモンゴル軍は平原での戦いには秀でているものの、攻城戦など馬が活躍できない場面は不得手でした。そこを多民族の技術で補ったというわけです。
本来苦手な攻城戦も克服されちゃ敵いませんね…
他にも中国の火薬なども取り入れていました。
火薬を詰めた弾を投石器で打ち込み、敵が混乱しているところを騎兵が縦横無尽に暴れるという戦法で戦果を挙げています。
苦手な所は得意なものに任せ、自分たちの得意をさらに伸ばす方法を探すとても合理的な考え方をしていたように感じます。
巧みな心理戦
ここまでの流れだと相当な脳筋民族のように感じますが、心理戦を行うしたたかさもあったようです。
元寇の時もそうでしたが、以外にもしっかりと敵の下調べをします。いわゆるスパイを送り込んで敵情視察をするのです。
この諜報活動により敵方の内情も調べています。
その情報から敵の一部に対して取り込みを計ったり、中立を勧めたりといった調略を行っていたもよう。悪よのぉ
モンゴルの残虐さを表した「降伏するか皆殺しか」というのも、その後の征服をしやすくするために意図的に自分たちで流布したという説もあるようです。
恐怖心を植え付けておけば反抗しないであろうという考えでしょうか。
このような今までの騎馬民族にはない強さで、ぺルシャや中国といった文明的で強大な国を支配することに成功しました。
ヨーロッパの危機、ワールシュタットの戦い
こうしたモンゴル軍の強さを如実に表したのが「ワールシュタットの戦い」です。
連戦連勝で侵略を続けるモンゴル帝国はユーラシア大陸を横断し、ついにヨーロッパへたどり着きます。
中央アジア→インド→西アジア→…と順に勢力を伸ばし、いよいよヨーロッパの東端であるポーランドへ侵攻を始めます。ユーラシア大陸の東端から西端まで、たどり着いたわけです。
この頃ヨーロッパではキリスト教内のゴタゴタがあり、救援要請を無視されたポーランドは孤軍奮闘で戦わざるを得ませんでした。
それでもなんとかボヘミアと、テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団の混成軍を合わせた2万5千人の兵を集めます。対するモンゴル軍は2万。数では優位なポーランド軍。
しかし数では覆せない致命的な欠点が、当時のヨーロッパの軍隊にはありました。それは基本戦術が「槍を持った騎兵による中央突破」であるということ。
こんなにパルティアンショットを決めやすい状況はありません。
勝手に突っ込んでくるのですから、退きながら矢を浴びせ、戦線が崩れたら突撃して…を繰り返せばいいのです
- ポーランド軍「蛮族め!討ち取ってくれるわ!全軍突撃ィィィィィ!」
- モンゴル軍「お?来たぞ。はい退け~よし崩れた突撃ー、もっかい退いて~」
- ポ「くっそ当たらへんやん!この逃げるな!こいy」
- モ「パルティアンショット成功~♪」
ヨーロッパの軍隊と言えば騎兵が主力のイメージがありますが、それでも騎馬民族ほど熟練の騎兵を揃えることはできません。
しかも弓兵は歩兵部隊でした。馬上から射かけてくる敵にまともに当てられるわけもなく、機動力に翻弄されます。弓の性能に大差はなくとも、弓を扱う弓兵に明確な差がありました。
固定砲台だけで戦車と戦うようなものでしょうか?
ポーランド軍はなすすべなく叩き潰され、ワールシュタット(死の山)の戦いと呼ばれました。普通は戦場となった地名などを冠するものですから、どれほどの戦いだったかがよくわかります。
モンゴル軍は本国で皇帝が亡くなったため踵を返しましたが、もし何事もなかったらウィーンから更に西へ西へと侵攻していたことでしょう。
- モンゴル兵「伝令!オゴタイ様がご逝去」
- バトゥ「なに!?こんな大陸の端っこで遊んでる場合やない。急いで帰るぞ!」
- ヨーロッパ人「なんかわからんけど助かったああ」
ヨーロッパからすると大事件なのに対し、モンゴルからするといつも通りに勝った戦いの一つに過ぎないというのが、なんとも言い難い差を感じさせます。
ユーラシア大陸で遊牧民と戦っちゃダメ
いかにモンゴル軍が強大であったのかがわかります。火器が発達するまでは、遊牧民を抑える手立ては皆無でした。
苦手な攻城戦なども、兵器で対処するモンゴル軍に大陸で戦うのは無謀です。
ユーラシア大陸以外の、騎兵が十分に力を発揮できない土地でなければ勝ち目はありません。日本やジャワなどは海・山のおかげで侵略されなかった部分が大きいでしょう。
ユーラシア大陸でモンゴル軍と正面から対峙するのは控えましょう。
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