どうも、初めての投稿を織田信長に決めたダルです。
みなさん信長といえば、どのようなイメージでしょうか。ステレオタイプ的なイメージからですと冷酷・残虐とか怖いイメージかと思います。
しかし最近ではどうも実像は違うのでは?という意見も
今までのイメージがやり過ぎてた分、実際の人となりがわかってくるとあれ?ってなるんでしょうかね。
そんなこんなで「信長は思ったより優しい、人間味ある人なのでは?」という記事です。
織田信長は意外と筆まめ上司
信長が対外的に苛烈であったことは間違いありません。
焼き討ちとかしてますしね。ただどれもこれも理由があっての苛烈さです
ブチ切れさせた相手もやることやっているので、実はお互い様って感じです。戦国武将なんてみんな怒らせたら怖いに決まってます。
ほとんどの武将は理由なく戦ったり殺したりしませんからね。いや、戦国DQN四天王を筆頭に例外もありますが…。
では、信長はどうだったのか。
明智光秀をキンカン頭(≒ツルピカ禿頭)、豊臣秀吉を猿呼ばわりする少々お口の悪い信長さんですが、実は結構な筆まめです。上二人に書いたものはもちろん家臣宛ての手紙が多く残っています。
秀吉の浮気性へ「天下布武」印の手紙
信長の手紙の中でも特に有名なのは秀吉の正妻である「ねね」へ宛てたものではないでしょうか。
信長の居城である安土城にねねが挨拶へ行った際に、秀吉の女好きに愚痴をこぼしたねねに送られたものです。
ねねと秀吉は恋愛結婚だったようなので、浮気なんてされたら旦那の上司に愚痴の一つや二つぐらいこぼしたくもなるでしょう
織田信長が「ねね」に宛てた手紙には、現代語訳すると大体下記のような内容が書かれています。
「前に会った時より随分綺麗になったね。君のような奥さんを持っているのに藤吉郎(=秀吉)はやたらと文句を言ってるって?言語道断。
どこを探してもお前ほどの女を再び、あの禿ネズミが女房にすることができるか。
これ以降は明るく元気に、いかにも正妻という重々しさを持って堂々として、仮にも嫉妬するような素振りはしないように。あとこの手紙を藤吉郎にも見せるように。 のぶ」
褒めてから、ドンと構えてなさいと諭すという優しい信長。女性でも読めるように極力ひらがなで書かれています。
しかも手紙を書くだけではなく、秀吉に見せる=釘を刺すよう伝えています。
もはや気がききすぎて怖い
言ってしまえばただの夫婦間での問題に手紙を送り、ご丁寧に天下布武の印まで使うのですから、信長の優しさが伺われます。これを見せられた秀吉はさぞ冷や汗を書いたことでしょう。
天下布武が押されているということは「公文書」のような扱いです。
今なら会社の印が押された手紙が社長直々に送られてくるような感じでしょうか?恐ろしいことこの上ない…
最初はゆったり書いているのに、途中でヒートアップしたのか段々文字が小さくなるのが面白い手紙です。性格が表れているようですね。自分を「のぶ」って書くのもなんだか和みます。
織田信長の数少ない直筆での激励、細川忠興
織田信長から細川忠興へ送られた直筆の書状は、珍しく貴重なため国の重要文化財に指定されています。
当時の武家などには「右筆(ゆうひつ)」という書記官のような人が居ました。当時の書状はほとんど右筆が書いたもので、サインのみ直筆という形が一般的でした。
貴重な直筆の激励文が残っていることから、細川忠興は信長に大変可愛がられていたようです。
激励文は信長に謀反を起こした「松永久秀」という、戦国きってのネタに尽きない有能な武将を細川忠興が討ちに行った際に送られました。
忠興は片岡城にわずか15歳という若さで弟と真っ先に侵入を果たしました。
この半年前に初陣を果たしたばかりですから凄い功績です
織田信長から細川忠興への激励文は、以下のような内容でした。
「(信長の側近である)堀秀政から忠興が手柄を立てたと聞きました。これからもビシバシ働いて手柄を立てると期待してるから!油断しないように、頑張ってね。」
ん?メール?という短さ。短くても直筆で送るぐらいですから、余程テンションが上がって嬉しかったのでしょう。短い文でも愛情が見えるような気がします。
忠興の父である藤孝と信長が同い年ということもあり、息子のように感じていたのかもしれませんね
ちなみに何故直筆とわかるかというと、家臣の堀秀政が「これは信長様直筆だからね!」と添えてくれたからです。激励文を基準に信長の筆跡を鑑定できるので、後世の私たちからすると堀さんグッジョブです。
添えられた書状は堀秀政のファインプレーなのか、信長の命令だったのか定かではありませんが、どちらにせよ細川忠興が可愛がられていたことは伺えます。
その後も織田家で重宝された明智光秀の娘である「ガラシャ」と結婚することを鑑みても、細川忠興はいたく気に入られていたようです。
なんだか思ったより優しさのある信長
織田信長は苛烈なイメージでどうも冷酷無比なマシーンのような人物像を抱きがちですが、どうやら優しさも持ち合わせた人だったよう。
事実、秀吉が天下を取った際には「信長の時みたいに甘くないからな?」と家臣に送った書状が残っています。
ちゃっかり呼び捨てにしてるあたり調子にのっていたのか、信長より上になったんやぞと周りに圧をかけているのか…。こう考えさせられている時点で秀吉のペースですね、流石は秀吉細かい…
いずれにせよ書状が残っている以上、信長が少なくとも周りには優しい人であったと想像できます。
新たな側面を知ると、イメージが変わるのが歴史の面白いところですね。「筆まめ」で「身内に優しい」のは信長の意外な一面でした。
それにしても手紙残り過ぎです。人から貰ったものを捨てられないというのは昔も今も変わらないのでしょうかね。
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