どうも、お米大好きダルです。
みなさん戦国最強といえば誰が思い浮かぶでしょうか?
騎馬隊を率いた武田信玄?そのライバル上杉謙信?魔王織田信長を挙げる人や天下人豊臣秀吉、日本一の兵と謳われた真田幸村を挙げる人もいるかもしれませんね。
ですが名だたる武将たちはあくまで指揮官クラス。実際に戦っているのは何万人にも及ぶ名もなき人々です。
その全てを今でいう職業軍人で賄うのは難しく、多くの大名が農民を戦場に動員していました。そう農民は戦国時代において重要な戦力だったのです。
今回は戦国最強の勢力とも呼べる「農民」の強さについて紹介します。
戦国時代の日本は国民総軍人時代だった
戦国時代の日本は国民総軍人といった状態でした。
そもそも武士が発生した平安時代や鎌倉時代などの戦いと、戦国時代の戦いでは規模が大きく異なります。
室町時代までの戦は武士とその臣下たちが戦っていたものが、戦国時代には足軽のような下級兵(農民も含まれる)がメインの何万人という大軍勢同士の争いに発展していきました。
そのため農民は半農半足軽のような状態で、戦のたびに徴兵されることとなります。
つまり戦場にいる兵士のほとんどが農民といっても過言ではありません。
兵農分離以前の戦国期では農民の武装は当たり前
足軽たちの多くが自前で武器を調達していました。なかには竹やりや鍬・鋤といった農具で参戦する者もいたようです。
そのため農民であっても武装していることは当たり前でした。今でいうと、アメリカやスイスの家庭に銃があって当然なことに近い状況だったと言えます。
それだけ多くの武器が国中に流通しており、一般人の手にも渡っていたというわけですね
刀狩りにより兵農分離が行わる以前は、兵も農も一緒くたでした。
恐怖心をなくす槍や火縄銃が重宝された
当然ながら農民は戦の素人です。使役する大名たちにとっては、いかに恐怖心をなくして戦わせるかが課題でした。
そこで重宝したのが「槍」と「鉄砲」です。どちらも敵から距離を取れ、長期の訓練がなくても扱えるため足軽に最適な武器でした。
リーチで恐怖心をなくし、しなりが必殺の武器になる槍
槍は長いリーチのおかげで敵から距離を取れるうえ、振り下ろすだけで殺傷能力抜群です。
切れる方向が決まっている刀と、ただ振り回すだけでも強い槍とでは扱いやすさが段違いです。
そのため槍は戦い慣れしていない農民にぴったりの武器でした。
2~3間(約3.6m~5.4m)の槍が主流で、なかには織田家の3間半(約6.4m)という長いものもあったようです。
遠距離から敵を攻撃でき、子供でも扱える火縄銃
もう一つ重宝された鉄砲も槍と同じく、遠距離から撃てるため恐怖心が少なく練度が低くても扱いやすい武器でした。
同じく遠距離攻撃が可能な弓は、訓練が必要なため足軽には不向きです。
もちろん鉄砲も当てるには技量が必要ですが、当たらなくても牽制や恐怖心を煽るなど鉄砲を撃つこと自体に効果がありました。詳しくは下記ページをご覧ください。
そのため足軽部隊に持たせるにはぴったりな武器で、織田家をはじめ様々な武将たちが鉄砲を必要としました。
戦国時代の日本が世界一の銃保有国となっていることからも、その需要の高さが伺えます
日本の農民は徴兵されていなくても怖い
時代劇や漫画などの影響で、農民は戦いにただ巻き込まれるだけの存在というイメージがあるかもしれません。
しかし実際には、農民は戦国武将にとっても侮れない存在で、一方的に搾取できるような弱い勢力では決してありませんでした。
明智光秀を討ち取ったのは農民!油断できない落ち武者狩り
敗残兵にとっては、撤退中に襲いかかる農民たちが油断できない脅威でした。
例えばみなさんご存知の明智光秀。本能寺の変で織田信長を討った後、天王山の戦いで豊臣秀吉に敗れます。そんな明智光秀を実際に討ち取ったのは伏見の農民でした。
当時の日本では負けた軍は法の外にあるという認識で、略奪はもちろん殺害もお構いなし。ゴッサムシティもびっくりの治安の悪さです
農民たちからしてみれば、落ち武者は田畑を荒らされた恨みがある相手です。
そうした恨みを晴らすため、自衛のため、刀など金品を狙ってなど様々な理由で敗残兵に襲いかかりました。
これは豊臣秀吉が天下統一後にお触れで禁止するまで慣例的に行われます。
わざわざ禁止令を出さなくてはいけないほど、よくある出来事だったようです
そのため敗残兵は敵の追っ手だけではなく、農民による落ち武者狩りにも注意しなくてはなりませんでした。
いつどこで襲われるかわかりませんから「第一村人発見=死」となる可能性すらあったでしょう。負けた途端一気に人生ハードモードです。
死すら恐れない無敵の一向一揆
一向一揆に代表される農民勢力の武装蜂起も多くの武将たちにとって脅威でした。
一向一揆とは、浄土真宗本願寺教団(一向宗)が起こした一揆のこと。教科書で習うため聞き覚えはあるかと思いますが、実は強大な勢力で最強と言っても過言ではない存在でした。
- 圧倒的な信者数
- 莫大な財力
- 死を恐れない
上記3つが非常に厄介なポイント。浄土真宗は当時広く信仰されており、信者が大勢いました。
そのため一揆に加勢する者もそれだけ多く、信長を苦しめた「長島一向一揆」では10万人もの人が参戦したとされています。
また寺社勢力というのは潤沢に資金があります。全国の信者からお布施が来るので、大名と変わらないかそれ以上の財力があります。
そのため火縄銃など武器を大量に保有していました
そしてなにより怖いのが死を恐れないこと。なぜなら「死ねば極楽浄土に行ける」からです。
信長と戦った一向宗は『進者往生極楽 退者無間地獄』(進めば極楽、逃げれば地獄)という旗を掲げていたほど。普通の戦いだと無駄な損傷を恐れ深追いしませんが、死を恐れなければどこまでも攻め立てます。
また宗教の元に一丸となっているため団結力が段違いです。
死を恐れない軍団が一致団結して戦うのですから、上洛してイケイケだった織田軍でさえも苦戦させられます
農民は戦国時代の最強勢力と言える存在
戦国時代には数多くの武将が活躍し名を轟かせていますが、名もなき農民たちも驚異的な存在でした。
戦国最強は誰だと思う?という問いは人にって挙げる人物が異なるかと思いますが、戦国時代最強の「軍団」であれば農民かもしれません。
農民であっても帯刀していることが普通で、弓や鉄砲なども所持していたようです。
戦国時代にタイムスリップする漫画やアニメもありますが、到底現代人が生き延びられそうにはありませんね。
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